地道な土壌改善を繰返し、生まれ変わったコーヒー農地。
コスタリカのコーヒー生産地の中でも
タラスはコスタリカにおける一大生産地域です。
今回販売する「セロ・ベルデ」マイクロミルが手掛けた
カタリー ナという農地のコーヒーは、
タラスのなかでも近年注目されているレオンコルテスという地域で
生産されました。
管理しているのはファジャス・モラ一家で、
彼らはサンフランシスコという農園を所有していて、
カタリーナはその1つです。
農地は4 区画あり、今回は標高が最も高い区画の豆。
他の区画はまだ生産量が少なく入荷にまでは至っていません。
標高が高いだけでなく北西を向いていることで日照も少なく、
さらに毎日16:00 頃には谷から霧があがってくることで
西日もさえぎられがちといった環境で、
技術の進歩があるといえども厳しいと環境と言えます。
ここでは1.5 ヘクタールほどの農地に
カトゥアイ品種を栽培しています。
元々牧草地として利用されていて、
牛が踏み固めて硬くなった土壌を開拓するのは非常に困難だったそうです。
そこで区画名にもなっている「カタリーナ」とい う一年草をたくさん植え、
成長するたびに刈り取り土の上に敷くことで、
土壌を柔らかくしつつ有機物の蓄積を行い、
コーヒーに適した環境を整えました。
彼らは手間を惜しむことなく品質向上に関する知識の向上や
農地での実践を欠かしていません。
語り出すと止まらないコーヒーへの情熱と
普段は物静かで気遣いを欠かさない人間性に非常に感銘を受けます。
そんな地道な努力から生まれた彼らのコーヒーは、
厚みのあるボディと素晴らしく滑らかな触感が特徴的。
しっかりとした飲みごたえを備えつつ、心地よさを感じ、
余韻にはカラメルを思わせる甘さも優しく広がっていく味わい深いコーヒーです。
【概要】
・マイクロミル:セロ・ベルデ Micro Beneficio?Cerro Verde
・農地:サンフランシスコ1900?Finca SanFrancisco
・区画:カタリーナ Catalina
・所有:ファジャス・モラ家
※息子Deyner主導でマイクロミルを設立。農地、ミルの管理はDeynerと父Eliecerが行っている。収穫期はサン・ホセに住んでいるDeynerの兄弟が手伝いに帰ってくる。ウェットミル作業には母Isabelも参加し家族総出で行っている。所在:サン・ホセ州レオンコルテス市サンフランシスコ SanFrancisco?de LeonCortes※Provinceを州、Cantoneを市としている
・標高:1,860-1,960m
・規模:1.5ha
・栽培品種:カトゥアイ、ビジャ・サルチ、ゲイシャ
・収穫:手収穫。
・精製:ペニャゴス社の小型設備機械と水の管理、フローター選別、ウェットパーチメント選別に各一名(父、母、息子)の体制で工程管理(要所要所で人手による選別を施している)
1.フローターは別途プラスチックタンクにチェリーを投入し手動ですくいとる(専任で一名つける)
2.縦型パルパーにて果肉除去
3.クリバにて果肉除去できなかったものなどを選別
4.ミューシレージ除去
5.ウェットパーチメント排出口でパーチメントを手選別(専任で一名つけ主に未熟をとる)
6.ベッドにて乾燥10-12日(雲が多いと20日かかることもある)
・ドライミル:
1. 脱穀 2.粗選別 3.スクリーン選別 4.比重選別 5.電子選別 6.手選別
※ドライミルもしっかりしているがそもそもの原料が非常にきれいなことが最終商品の精度に最も寄与している。
<農地について>
元々牧草地だったが粘土質の土のため牛に踏み固められ、硬い土壌になってしまっていた。カタリーナという一年草を植え、成長するたびに刈り取って土の上に敷くことで、土壌を柔らかくしながら有機物の蓄積を図っている。標高が高いだけでなく北西を向いていることで日照も少ない、さらに毎日16:00くらいに谷から霧があがってくることで西日もさえぎられがちといった環境。
<ファジャス・モラ家とマイクロミル設立まで>
ファジャス・モラ家はSanFrancisco近隣のSanta Rosa出身だが、Eliecerが祖父からSantaRosaの土地を相続した際、その土地と兄弟が所有していたSanFranciscoの土地と交換し、さらにその周辺を新たに買い足すなどして現在の土地を取得した。その際住居もSanFranciscoに構え引っ越してきた。1978年のこと。この頃は現在のサンフランシスコ農地は標高が高すぎ、誰もコーヒーを植えようとは考えていなかった(気候的にか技術的にかは不明)。そのためコーヒーの生産はもう少し標高の低いConcepcionという農地で行っていた。
その後、Ediecerは2男2女をもうける。Deynerが生まれたのは1985年。子どもたちは成長すると就職や高校の為、首都サンホセに行ったが、Deynerはコーヒー生産を引き継ぐことを決意し家に留まった。Deynerはコーヒー生産に取り組む中でますますコービーが好きになっていったが、収穫して販売するだけのチェリーがその後どうなるかを知りたいと思うようになった。親戚がマイクロミルを設立したことを聞きつけると見学に赴き、知りたいという欲求が自分たちのコーヒーを作りたいという思いに変化していった。一方で、コーヒー農家として生きていくためには生産量の向上も必要と考え、2007年にサンフランシスコ農地に0.2haほどコーヒーを植えてみた。いけそうなことが確認できたがサンフランシスコの土地は16haと広く、大半が牧草地のためさらにコーヒーを新植する場所はたくさんあったがその資金はなかった。Deynerは資金を稼ぐために2008年から米国ニュージャージー州に出稼ぎに出た。4年間家具の梱包などの仕事に従事し稼いだお金は新植だけでなくウェットミル設営の原資ともなった。帰国後の2012年、コスタリカで広くマイクロミルが成功していることを目の当たりにし、家族で自分たちのコーヒーを作りたいとの思いを強くしたDeynerは、マイクロミルの設営を決断しすぐに実行する。その年に精製できた量はわずかだったが、サン・ホセの兄弟も収穫期の作業を手伝いに帰ってきてくれた。まだ、処理量や品質は安定していないものの、Deynerはマイクロミルを設立したことで家族一丸となってコーヒー生産の仕事ができることに大きな喜びを感じている。今後は少しずつ品質を高め、消費国の方々が自分のコーヒーを愛飲してくれるようになることを希望している。
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